Blue ArchiveというゲームのOSTを(たまたま)聴いていましたところ、いやに聞き覚えのある旋律が流れてきました。曲名は"Kyrie Eleison"。キリエ・エレイソンと読みます。ゲーム中の登場人物「聖園ミカ」のシーンで用いられるそうです。
↓動画(非公式)
実は、これはキリスト教カトリック、トリエント・ミサのミサ通常文Kyrie VIII番の旋律そのままのものです。大方の人は何を言っているのか分からないと思いますが、そのくらいマイナーなところから引っ張ってきています。要するに、すでに存在する宗教音楽の借用(悪く言えばパクリ)なのです。
↓元の曲
間違いようがありません。同じです。この元の曲が書かれた時期は全く不明ですが、少なくとも500年以上前であろうと思われます。
ところが、ゲーム内楽曲の"Kyrie Eleison"がミサ曲のアレンジ(?)であるということを日本語で言及している人はpixiv百科やニコ百などの有名どころを始め、それ以外にも見当たらず、そのためにこの曲が用いられている背景や歌詞の意味について深く理解することは難しくなっています。Youtubeの中には、誤った楽譜 (Kyrie XI)を付けて楽曲を紹介しているshort動画もあったほどです。
筆者はBlue Archive未プレイですので、ストーリーと深く絡めての分析を行うことは難しいですが、カトリック聖歌という視点からでの情報が提供できればということで以下に解説と、存在する問題の指摘を行います*1。
要点
以下が割と長いので、先に要点を述べます。
・歌詞は、神に祈る内容。
・歌は、「天使のミサ」と言われるミサで歌われるもの。
・歌われているのは、本来の2/9の長さに過ぎない。
・編曲者によるアレンジも施されておらず、元の曲を再演奏しただけ。
・rの発音に誤りが見られる。
以下はこの結論に至る詳細を解説していきます。
歌のジャンル
宗教音楽ということで、基本的に一般人が知る領域とは程遠いものになります。ですから、この曲を理解するためには様々な前置きをしなければなりません。お付き合いください。
まず、この曲は宗教音楽(ミサ曲)です。ミサ(=宗教儀式の一種)と言うことは、カトリックのものであり、プロテスタントや正教会とは残念ながら関係がありません。そのため、以下の解説はすべてカトリックの視点に立ったものになります。
そして、この曲は「グレゴリオ聖歌」に分類されます。これの詳細については省きますが、簡単に言うと「単旋律、無伴奏のラテン語聖歌(=宗教的意味を持つ)であり、現在教会でもあまり歌われることのない形式」です。
"Kyrie Eleison"を解説する上で、グレゴリオ聖歌について、少し歴史の話をしなければなりません。
グレゴリオ聖歌の歴史
グレゴリオ聖歌の歴史は5世紀以前にさかのぼります。極めて歴史の古い歌唱形式です。歌詞は紀元前後、旋律は10世紀ごろ成立、などと言う恐ろしく古いものも存在します。
10世紀ごろにはすでにほとんどのメジャーな曲が作曲されていたと言われ、それから1960年に至るまでの約千年間、一時廃れた時期はあったものの、1820年代の復興を経て、「生きた伝統」としてカトリックの宗教儀式で歌われ続けていました。
しかし、1960年代に再度危機が迫ります。近代化に伴って長くにわたって伝統を守り続けてきたカトリック教会も変革の必要性を感じていました。そのため、世界中からキリスト教のお偉いさん方がイタリア、ヴァチカンに召集され、様々な教会のことに対して議論を行いました。これを、第二ヴァチカン公会議と言います。その際、変更されたたくさんのことの一つに、ミサを伝統的な「トリエント・ミサ」から変更することと、歌を現地の言語で歌うというものがありました。
現在ラテン語と聞いても、いったいなんだ、難しそうだと思う人が大半だろうと思います。ミサの曲もラテン語であったため、同じように、世界各国でミサに参加しづらいと考える人が一定数いました。これではいけないということで、歌詞オールラテン語のグレゴリオ聖歌は、教会の主流の聖歌ではなくなりました*2。しかし、グレゴリオ聖歌はその豊かな音楽性を人々に伝え続けています。
当然、グレゴリオ聖歌はラテン語かつ内容は神学的に難しい上に、現在の教会ですら歌われないというわけで、マイナーな音楽の領域にあります。ただ、Youtubeで検索するとリラクゼーションを謳うグレゴリオ聖歌のビデオもヒットするので、犬も食わない知名度ではなさそうです。
そんなグレゴリオ聖歌の中でもかなりメジャーな曲が、"Kyrie Eleison"です。マイナーどころのメジャーになります。
歌詞
内容に入ります。まず、"Kyrie eleison"とは、「主よ、あわれみたまえ」を意味する古典または現代ギリシャ語"Κύριε ελέησον"(これは現代ギリシャ語表記)のさらなるラテン文字表記です*3。カトリックのトリエント・ミサ(伝統的なミサ)の式典文句は前述したようにすべてラテン語ですが、ここのみ、伝統的にギリシャ語が使用されています。
"Kyrie eleison"と主に呼びかけたその後に、"Christe eleison"「キリストよ、憐れみたまえ」と続きます。「主」という単語は、三位一体("トリニティ")のうちのすべてのペルソナに対して使用されますが、この文脈ではその直後にキリストに対して呼びかけていることから、最初の「主」は父を指すものだと考えられます。名前は出てきていませんが、最後の三回目のKyrie(Blue Archiveのアレンジでは省かれている;後述)は、聖霊に向けたものだと考えられます(水嶋 1966:204)。
全体を合わせて、三位一体の神に対してあわれみを乞う祈りの文句です(諸説あり)*4 。
これは、筆者が知っている限り、あらゆるミサで、毎回必ず唱えられる典型的な祈りの文句です。ゆえに、だれかが神に短く祈りたいと思った際、この文句を用いても違和感はありません。
また、「歌う」ことにも意義があります。聖アウグスティヌスも言う通り、「歌う者は、二倍の祈りをする」と言われているのです (CCCC 239)。
ただ、Blue Archiveが様々なキリスト教モチーフを取り入れているとはいえ、ここまで明確に神に対してカトリック的に言及してよいのだろうか、宗教的な中立性が心配ではあります。
歌のミサにおける位置づけ
では、冒頭で「ミサ通常文Kyrie VIII番の冒頭旋律そのまま」と言いましたが、そのKyrieの第VIII番とは、どういうことでしょうか。
実は、伝統的なミサの儀式の中には4+1個の定型文(Kyrie, Gloria, Sanctus, Agnus Dei+Credo)があり、季節に応じてその文言そのまま、歌い方を変えていました。ミサは1番から18番まであり、前半の4つはそのままそれぞれ1~18番まであります(Credoは文言が長すぎるためか6番までしかありません)。
例えば、特に年間を通して、特別な祝日に当たっていない日曜日にはミサXI番、通称"Orbis Factor"「世界の創造主」を執り行います*5。このミサXI番の中で、Kyrie XI番が歌われます。
なお、グレゴリオ聖歌の曲の名前は、通常は歌詞の初めから数個の文言を取るため(インキピットと言う)、"Kyrie Eleison"というのが曲名になっていても全く通常ですが、このKyrieは例外で、番号付きでKyrie XIと呼ばれます。今回はミサVIII番のため、Kyrie VIIIと呼称されます*6。
そして、ミサ第VIII番とは、通称その名も"de Angelis"「天使の」という名前なのです。
これは筆者が一番指摘したい点です。ここには、明らかにストーリーとの関連性が見られます。Blue Archiveに詳しい方なら(筆者より)ご存じかと思いますが、聖園ミカはその体に天使の羽をもち、pixiv百科によると銃などの他の側面からも、天使ミカエルとの関連性が強く見られるとのことです。
ここで、他の数多くあるミサの曲ではなく、あえて天使に捧げるミサの中の一曲を用いることには明確な意図があると思われます。ただ、"Kyrie Eleison"以外にBlue Archiveで用いられているミサ曲は残念ながら無く、これ以上の分析は困難です。
楽典的な分析
以下は、このアレンジ曲に対する音楽的なさらなる分析、および楽曲に対する批判が二つあります。それは、まず一つ目に編曲者があまりにも元のメロディーを適当とは言えない形で拝借していること、二つ目が歌の発音です。楽譜が読める程度の知識があれば(なくても?)理解できるはずです。
メロディー
まず、メロディーについて、元曲とアレンジを比較しながら詳しく見ていきます。
"Kyrie Eleison"は元曲Kyrie VIIIのメロディーをトレースしているものの、Kyrie eleisonの繰り返し回数やChristeの流れには大きな違いが見られます。具体的には、一番目のKyrie eleisonを一回しか繰り返しておらず、また、Christe以下のメロディーは元のものを途中で切断したものです。
まず、Kyrie VIIIのグレゴリオ聖歌としての楽譜を以下に示します。
まず、この楽譜を見たときに一体これは何なんだと混乱する方が多数だと思われます。
通常見ている五線譜に似ているものの、線は4本しかないし、調号(複数の#やb)、拍子記号(4/4など)、ト音記号もヘ音記号もありません。また、速度指定は指揮者の判断に任されるため、これもありません。
これは、グレゴリオ聖歌で用いられる「ネウマ譜」というものです。ネウマ譜の具体的な読み方に関しては、すでに別の方がまとめてくださっているので詳しくはこれを参照してください。
簡単に読み方を説明すると、楽譜の四線の左にあるC記号がハ音記号で、ここがC(ド)音であることが分かります。ここからは、普通の五線譜と同じようにたどっていけばよいのです。ゆえに、"Ky"の最初の音はF(ファ)であることが分かります。
ただ、上の記事では変記号(フラット)および付点の扱いについて解説されていませんので、以下に説明を付け足します。
グレゴリオ聖歌では、変記号及び本位記号(ナチュラル)は、原則B(シ)の音にしか付きません。b記号がBにしかつかない、覚えやすいですね。具体的な用法に関しても複雑な規定がありますが(水嶋 1966:26参照)、とりあえずb記号付近のBの音がBbになるものと考えれば問題はありません。
また、付点は、元の音符の長さを2倍に拡大します。1.5倍に拡大される近代記譜法と大きく異なることに留意が必要です。
Kyrie eleison
以上に気を付けて、Kyrie eleisonの部分の元の楽譜を五線譜に(ト音記号で)書き直すと、以下のようになります*7。
五線譜に直すと、古い時代のグレゴリオ聖歌が、ルネサンス以降に考案された拍子という概念に従っておらず、別のルールに従ってのびやかに歌われていることがよく分かります。
では、アレンジの方はどうでしょうか。
実は、アレンジの方は3度低く移調(最初の音がF→D)されて歌われています。ここでは、水嶋(1966:79)も述べている通り、「グレゴリオ聖歌は少し高くあるいは低く移調されて歌われるのが普通である」ため、問題ではありません。また、音のズレ、欠けもありません。
ただ、冒頭の動画を聴く限り5個目のAがやたら長く、規定の長さを逸脱しています。とはいえ、これは普通に聖歌を歌った場合でもないこともありません。編曲者は、少なくともYoutubeに転がっている歌唱動画を参考にするくらいはしてこれを書いたものと思われます。
Christe eleison
一方、その次のChriste eleison以下は、明確に大きな違いが見られます。 元とアレンジの両方を、五線譜に直したヴァージョンを以下に示します。
一目で見てわかる通り、長さに明白な違いがあります。
具体的には、元はChriste eleisonのeを非常に長大に伸ばして歌っているにも関わらず、アレンジではD音で打ち切られています。実際は、Kyrieはeを非常に長大に伸ばすもの(メリスマ)であり、このように短く終わるKyrieは一つも存在しません。
また、元の楽譜にはChriste eleisonの後にもう3度のKyrie eleisonがありますが、これはアレンジでは省略されています。
意見
ゆえに、この曲は独自の旋律が付け加わっているわけでもなく、ただ尻切れトンボに終わらせているだけで、アレンジとは呼べないと筆者は考えます。ただし、曲名も歌詞も原曲そのものであり、編曲者にはメロディーを剽窃する意図はなかったと考えられます(盗用したところで著作権は切れているが)。よって、この記事はMitsukiyoさんが「編曲者」であり、「作曲者」ではないということを理解するべきだと指摘するにとどめます。
とはいえ、メロディーの一部をそのまま持ってきて途中以降を切断することが果たしてアレンジに入るかどうかは疑問です。 このように中途半端なところで切れているのはどうにかならなかったものでしょうか。せめて、元のメロディーを参照するか、自身の旋律を付け足すか何かでChristeの後のもう一回のKyrieまで含めるべきだと筆者は考えます。
というのも、元はKyrie eleison, Christe eleison, Kyrie eleisonをそれぞれ3回づつの合計9回も歌うのです。これは聖三位一体への三重の呼びかけに他なりません。
これを2回で止めるのはあまりにも神学的に軽率というか、せっかく伝統あるグレゴリオ聖歌のメロディーを借用したのに元への敬意が欠けているとか、もったいないとかという印象があります。この方の他の曲がどれも素晴らしいものであるだけに若干残念ではあります。
発音
また、発音についても指摘ができます。ラテン語というものは学術、宗教その他でいろいろ影響を及ぼしたことが理由で、ヨーロッパの言語群の母ともいえるような立ち位置にありますが、子は子の好きなようにめいめいに発音することが多いです。例えば、イギリスでは英語っぽく、フランスではフランス語ぽく読まれています。
ところが、グレゴリオ聖歌に関しては、イタリア語に"似た"教会ラテン語発音を用いるように規定されています(水嶋 1966:54)。
水嶋は発音について、「教会ラテン語のすぐれた発音なしに、グレゴリオ聖歌の優れた演奏はありえない」と言った、別のグレゴリオ聖歌の専門家の発言を引いてまで (p. 53)、このことを強調しています。
母音の細かな発音についてはキリがありませんが、明確に指摘できる点は、rを英語のように巻くようにで発音している(国際音声記号で[ɹ], 歯茎接近音の類)ところがまずいという点です。
イタリア語やスペイン語に触れたことのある方はご存じかと思いますが、これらの言語ではrを巻き舌のように発音します。フランスで収録されたグレゴリオ聖歌のCDを聴くとParisのr音 ([ʁ])をどうしてもしてしまう歌い手も見られますが、どの言語が母語であるかに拘わらずこのrはきちんと巻き舌rで発音しなければなりません。
その点を歌手にしっかり指導するべきだったと筆者は思います。たかが発音ですが、かなり重大な問題だと思われます。
まとめ
グレゴリオ聖歌の優れたメロディーを作品に取り込むことは、歴史上例えばバロックの作曲家もよく行ったことで、全く不自然な点はありません。むしろ、その際にキャラクターの背景とよく絡めた楽曲を意図的に採用している点は高く評価できます。しかし、楽曲を採用する際に元の意図をゆがめないようにすることや、元に完全に依存するのではなく自身らしいアレンジを加えて新しい曲を創造するということも忘れてはならないと考えます。この記事が何か新しい知見を提供できたのなら幸いです。
記事に誤り等ございましたら、記事のコメントか、XのDMまでご連絡ください。
出典
Liber Usualis 1961.
The Roman Missal 1962.
The Roman Missal 2011.
水嶋良雄『グレゴリオ聖歌』1966. 音楽之友.
ドム・ダニエル・ソルニエ原著、渡邊宏子訳『グレゴリオ聖歌入門』サンパウロ. 2008.
カトリック中央協議会『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』2010. 略記号 CCCC.
*1:説明は、このような主張ができる理由、つまり筆者は適当なことを言っているわけではないということを言うために詳細に行っていますが、すべてを理解する必要はありません。要点だけ抑えれば大丈夫です
*2:第二ヴァチカン公会議の以前から、ラテン語になじみが薄い日本は日本語でミサを行う許可を教皇庁より得ていたため、日本のミサに公会議以前で大きな変化が起こることはありませんでした。しかし、私たちが学校で古文を勉強するようにラテン語やギリシャ語を勉強する欧米では、ラテン語に親しんでいる人もある程度存在し、この伝統的なミサを改革しようとする教皇庁の政策に反発する伝統主義グループが生まれました。詳しくは「聖ピオ10世会」で検索。
*3:長い文法解釈は注釈に送ります。Κύριεは、「主」を意味する"Κύριος"(Kyrios)の呼格形です。格というのは、大学でドイツ語やスペイン語、イタリア語を選択していた人は一度なりとも聞いたことがあるかと思います。呼格は現在において話されている有名な言語にはすでに存在しませんが、ラテン語や(古典)ギリシャ語には存在していました。何かを呼びかけるときにこの形に活用させます。「ブルータス、お前もか」の「ブルータス」の部分は、もともとのラテン語では"Brute"であり、きちんと呼格になっています。"ελέησον"の文法解釈は相当に難しく、詳細な解説は控えますが、動詞 'ἐλεέω' の命令形「憐れみ給え」と解釈されます。具体的には、活用表によると二人称現在アオリスト命令形のようです。動詞「憐れむ」"ἐλεέω"自体は名詞「憐れみ」"ἔλεος"と関係があり、名詞の方はビザンティン聖歌の詩篇唱を聞いていると腐るほど出てきます(cf. LXX Ps 135)。
*4:第二ヴァチカン公会議の際、従来はKyrie eleisonを3回、Christe eleisonを3回、もう一度Kyrie eleisonを3回の合計9回唱えられていたキリエが、それぞれすべて2回の合計6回に減らされました。この後紹介する、オリジナルのKyrie VIIIの楽譜にも、合計9回歌ったことが明確に示されています。この措置は、おそらく、以前はかなりの時間がかかっていたミサの時間短縮だと筆者は考えています (cf. The Roman Missal 1962 & 2011)。
*5:ただし、ソレム修道院のソルニエ師は、このように曲を何かの祭日と合わせて一括りにするのは19世紀のグレゴリオ聖歌復興以来の話であり、歴史的な根拠はない。それ以前は地方ごとに自由に歌われていた、と付言しています(ソルニエ 2008:93)
*6:Youtubeで"Kyrie VIIIと検索してみてください。また、数字を変えて色々検索してみてください。たった三つの文言に18個もの(実際はこれ以上あったが収録されていないだけ)異なる旋律を付与されているのは、まさに驚異的と言ってよいと思います
*7:Musescore 4使用。元楽譜でiijと書かれているのが、3回の繰り返しを示すのですが、これは省いています。また、縦の点線は小区分線と言い、内容の違いを示しています。通常は呼吸の必要はありませんが、今回はeのメリスマが長大であるため、呼吸を入れます